梶原吉広がオリンピック「卓球」を紹介

今では日本でもポピュラーな競技の一つの「卓球」。必ずアミューズメントパークに行ったりすると台が置いてあったり、一昔前は卓球台が置いてある銭湯は多く見られた時もありました。やってみると非常に奥が深い競技だと判ります。手首の動きで球の軌道も変わるし、それに伴う動体視力、反射能力、瞬発力、持久力が必要になります。

卓球の歴史は意外にも19世紀後半のイギリスが発祥です。テニス選手が雨の日にテニスができなかったで室内のテーブルでテニスを真似事をしたのが始まりでした。この時この真似事が世界競技になるって想像をすると凄い事ですよね。1900年頃にはラケットがゴム製になりましたがネットの高さが高く、強力な打球技術も無くいかに相手の球を返していくかという長時間の対決になっていた1点獲得するのに2時間掛かった試合もあったそうです。1937年に日本で国際大会が開かれた。その際の日本代表のラケットは何も貼ってないただの「木べら」でした。ですがそんなラケットながらも好成績を掴んだみたいです。その頃アメリカのチームが指を駆使し様々な回転をさせながらサービスを繰り出し、強い回転を生み出すサービスでアメリカチームは好成績を掴んだ。ラリーが長すぎる試合が主流だったのがアメリカのサービスで打ち返せない選手が続発し試合時間が短縮され観客が退屈をしだした為、国際卓球連盟がルールが改正されネットの高さ、時間制限、指を使い回転させるサービス禁止をする事に決定しました。その影響で結局欧州選手団のカット主体での守備型戦法が有利な状況が再度続きました。しかしこの1950年後に日本が新しい卓球用具を様々に開発する。ラバーを裏返しにして貼る「裏ラバー」が使用されるました。こうすると摩擦が大きく強い回転を引き起こせます。そのあと軍事用品を利用した素材で卓球用品の開発が進み独立気泡のスポンジにより反発力、打力が高まりスマッシュ攻撃を繰りだす日本選手達が1952年の正解選手権において黄金時代の幕開けとなった。しかし1959年には「スポンジラバー」が使用禁止にされてラバーの厚みも制限をされた。2000年には球の大きさ、2002年にはサービス時にボールを隠す行為、2008年接着剤の加工規制をされたりと今でも進化をし続ける競技です。

卓球日本代表、男子は水谷隼選手、丹羽孝希選手、吉村真晴選手。女子は福原愛選手、石川佳純選手、伊藤美誠選手が選ばれています。

中でも期待は石川佳純選手です。ロンドンオリンピックでシングルでは惜しくもメダル獲得ができなかったのですが、福原愛選手、平野早矢香選手と共に出場した団体戦で銀メダルを獲得。今年はシングルでもメダル獲得を期待してます!

 

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